2017年8月17日木曜日

里山は幻想か

雨が降ってきてしまいました。今年のお盆、関東地方は天候不順に泣かされました。だから、というわけでは無いですが、少しだけ物思いにふけってしまいました。そもそも今の時代に里山って成立するのだろうか、と。

慶應義塾大学、清家塾長(当時)

少し前、慶應義塾大学の清家篤教授の講演を聴きました。なぜ少子高齢化は起きたか。先生の労働経済学の視点から。 「昔は子供は生産財だったのです。子供が居ることで労働が出来る。そしてそれが稼ぎにつながる。だから子供が居ることが財を得ることに直接つながった。」と言われる。それに対して「現代は子供は消費財になった。」と。「子供は生産に必須のものでは無くなった。それ自体が財を生むわけではない。消費を生む素材になった。極論をすればペットに近い存在だ。」これは清家先生から直接聴いていただかなければ、私のような学の足りない者が伝え聞きを述べるだけでは先生の言わんとすることが充分に伝わらないでしょう。誤解を生みかねないたとえかも知れません。

しかし、昔、子供は消費財だった。それに対して今の子供の位置づけは消費財だ、というのは納得感を得ました。清家先生は、だから、よほどな経済的余裕があったり子供好きだったりしなければ子供を得る動機が生まれない。結果として少子化は必然的に起きる、とおっしゃる。


少子化と里山との共通点

かなり強引なこじつけですが、里山と子供との共通点を感じています。

昔、里山は生産財でした。里山が無ければ人々の暮らしが成り立たない。まさに人々の命を繋ぐ場でした。昨日触れたカルガモの事を思い出してください。もし、人々がカルガモを食用にしていたとします。すると仮にその雛が鯉に食われたのだとしたら、そこは積極的に自然環境に干渉し鯉を減らし、カルガモを守ったでしょう。他方、鯉も食用に、あるいはそれ以外の目的に使っていたかも知れません。すると鯉を間引くにしても一定の加減をもってしたと思います。里山の生態系が維持されること、それが人々の命にもつながっていたからです。

「おめえよぉ。タラ芽を摘んじまうのかぁ」
「そおよ。うめえからよぉ」
「ふんだぁけんどてぇげぇに(ほどほどに)しとけ。絶えちまったらあとで困まんべぇからよぉ」

こんな感じで里人も互いに互いの行動を監視しながら、里山の生態系の維持に努めていたのではないかと思うのです。この行動も集落の命を繋ぐため、まさに命がけだったはずです。過去の飢饉のおぞましい記憶を思い起こしながら。


やはり現代では里山は幻想か

では、現代はどうか。農家にしてもまさか里山からの恩恵で生業を繋いでいるケースは希有でしょう。生産財としての位置づけを失っているのです。もちろん全国を見渡せば、微視的に見れば生産財としての里山が残っているかもしれません。ですがここでは微視的な見方をするわけではありません。

現代の里山は消費財として捉えるべきではないでしょうか。里山から財を得る事は困難。むしろ、その維持、管理に財を消費させなくてはならない。子供が消費財になったのと同じように、里山も消費の場になった。そうは考えられないでしょうか。

里山、それはかけがえの無い日本の自然風景です。人と自然とが織りなす二次的な自然環境。これは日本の原風景などと称しても構わないでしょう。そのような、私たちがイメージする里山は実は生産財だったのです。だから人も命がけでその生態系に干渉し、生態系を構成する重要な一員になっていました。しかし、今日の里山はそうではありません。荒廃する森林にもそれと一脈通じる事があるでしょう。

消費財となった里山をどうやって維持して行くのか。これはその環境と関わる人がよほど強く価値観の共有を持ち、行動を起こして行く、それなくして実現出来ないのではないかと思った次第。「命がけ」の価値観と同等、あるいはそれを上回る価値観をどうやれば喚起できるのでしょうか。

昨日紹介した「二斤のパンと茹でうどん一玉」が、在りし日の里山で起きたなら、ちょっと想像してみましょう。

「おめぇよぉ。あにやってんのよ。そんなおんまけたら(ばらまいたら)池が腐っちまうじゃんかぁよぉ。いい加減にしねえかこんちきしょう。」
「・・・」
「あれぇ。おめえ、よそモンだな。とっとと出て行きやがれ。」

(私、不完全ですが西東京から奥多摩方面の言葉も一部解します。)

これが今の世の中ですんなりと受け入れられるわけありませんよね。では、どうするか。知恵の絞りどころです。


宮沢賢治は、今年のような寒さの夏は生産財の里山を前にしてどう思ったでしょうか。どんな行動をしたのでしょうか。天候というあらがえない現実の前にどう適応していったのでしょうか。そして進化を遂げたのでしょうか。

でしょうか、でしょうか、と、問いかけに終始してしまいましたね。

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