2017年8月16日水曜日

考えてしまったこと

三羽になってしまいましたが、カルガモのおちびちゃん達、元気です。カルガモは草食が基本。公園に生えている雑草は格好のごはんです。

くつろいでいたこの三兄弟。急に池の岸の方を見て親と一緒に泳ぎはじめました。

考えこんでしまったこと

この後の光景に私は考え込んでしまいました。カルガモの親子が岸を目指したのはある人影を見つけたからのようです。その人はレジ袋一杯にパンの耳を持っていました。おそらく近所のパン屋で無料で配っているものでしょう。ゆうに一斤はあろうかという分量です。それを池に次々と撒きました。当然カルガモたちは、この親子も含めて狂喜乱舞です。また池の中では鯉をはじめとする魚たちが狂宴状態。この人が撒き終わると、すぐそばでまた別の人がパンの切れ端を撒き始めました。これも一斤はあろうかという分量です。

鯉は口に入るものはそのまま食べてしまう雑食性があるそうです。この狂宴のなかでカルガモの雛を口にした鯉がそのまま飲み込んでしまった。そんな話しも公園の常連さんから聞きました。私が実際に見たわけでもないし、その写真を見せてもらったわけでもない。ですのであくまでも噂話の域を出ないです。しかも、それも自然のなせる淘汰だと言うべきだという議論もありましょう。(あくまでもこのような事態があったのだとした場合、これは人為的な行為の結果です。これを自然のなせる業だという考えには私は賛同しかねます)。


公園での人の餌やりなど、環境に与える影響は限定的?

私はこれまでは、公園での餌やりなんか環境に与える影響は限定的だと思っていました。子供たちに「ちょっとだけこのクッキーを鴨さんにあげようか」と、ほんのひとつまみ与えてみる。こういう事をきっかけに動物との接点が生まれ、情操教育の一助となるのなら、決して目くじらをたてるような事ではないでしょう。しかし、一日に二斤ものパンを池に投げ込むというのは話しが違います。これは生ゴミを投棄するのと本質的には変わりません。鯉が食べたとしても、カルガモが食べたとしてもその排泄物は池に溜まります。ましてや溜め池のように水の循環が弱い閉じた環境である池では、それが蓄積し、ヘドロ化します。悪臭、得たいの知れない浮遊物。昨年、この場所の一部は湖底がこのヘドロの蓄積で上がってきてしまい、税金をはたいて浚渫作業をしました。ただし、これは周囲からの土砂の流れ込みも影響しているはずです。ですからこれをすべて餌やりの結果とするのには無理があります。

インターネット上でさまざまな人のブログを見ると、この餌やりには賛否両論が両極端を含め多種見られます。私は、ごくわずかな餌やりは許されても良いのでは無いかと思ってきました。しかし、このごくわずかでもわずかな餌やりをするひとが多数いればわずかとは言えなくなるでしょう。ましてやレジ袋一杯のパンの耳を一時に与えるなど言語道断です。また「わずかな餌やり」の範囲をどう考えるか。絶望的な曖昧さがここにはあります。


餌やりは全面的に禁止せざるを得ないのではないか

この状況では餌やりを全面的に禁止しないといけないのではないかと思うに至っています。禁止すると、その事が環境に影響を与えるかもしれません。たとえば池の鯉。餌不足から小魚など口に入るものを手当たり次第に食害するようになってしまうかも知れません。その状態が安定化するまでどのような経過を辿るのかわかりません。

また、このような状況をいかに来訪者に納得してもらうかも問題です。餌やりをしている人にとって、その行為に微塵も罪悪感を持っていないはずです。良いことをしているのになぜ止められるのか、おそらくそういう印象を持たれるでしょう。そういう方にどう納得してもらうのか。

しかし、二斤のパンが撒かれた後に、今度は小学生とおぼしき少女が茹でうどん一玉を池に放り込んでいるシーンを見て、この思いを強くしました。

まずは公園事務所に見たままを報告させていただきました。

最後に満腹になってねぐらに向かうカルガモの親子でおしまい。


0 件のコメント: