広い公園で、常連さんたちとの会話。
「以前はもっとたくさん野鳥が居たよね」
「最近、本当に少なくなったね。特に今年は酷いね」
私は、この会話はちょっと勘弁、と、思っている。実際、野鳥が少なくなったとは思わない。たとえばメジロ。すごく大きな群れで飛び回っている。シジュウカラも、ヤマガラも、エナガも、カワセミだってカルガモだってハシボソガラスだって、ヒヨドリだって。コゲラもいるし、(ちょっと気になるけど)最近はリュウキュウサンショウクイも。ジョウビタキ、ルリビタキ、オナガ、スズメ、ハシブトガラス、アオゲラ、アオジ、猛禽類も。むしろ以前より多様性も数も増えているのではないかとすら思う。
この会話、何に抵抗感があるかと言うと、その次の言葉が大体・・・。
「この公園の管理がいい加減だから。」「管理者が野鳥が嫌がることばかりやる!」
人によっては、
「自然公園なのだから自然に任せるべきだ。手を加えるべきではない」
と来ることもある。これが、どうにも違和感満点なのだ。
私は決して公園の管理が、行政がいい加減だとは思っていない。予算、人手など限られた条件がいろいろあるだろう。倒木対策など緊急性が求められるものもある。そもそも公園に来る人がバードウオッチャーだけではない。さまざまな人が来る。それぞれが公園にさまざまなことを求める。それぞれにこたえられるように一生懸命に頑張られている。そのような人たちのことを思えば、とてもではないけど「管理がいい加減だ」などとは言えない。メジロちゃん、キミだってそう思うよね。
今日、NHKラジオ第一の番組で小学校、中学校、高校と同じだった級友が出演した。国立公園についての話。自然環境保全のエキスパートとして活躍してきた彼の功績はすごい。番組最後に聴取者から寄せられた質問がまたすごかった。
「私のような者が、国立公園を利用させていただいている中で、公園に対して何か貢献できることはないでしょうか」
この質問に胸を打たれた。投稿者に、また、これを選択したNHKの番組制作側にも拍手を送りたい。この聴取者の姿勢。胸に刻みたい。単に公園を利用させていただくだけではなく、何か貢献したい。この貢献とは、たとえば公園の維持管理にあたる行政・現場担当者に敬意を払い、感謝の心を持ち、現場の皆さんが気持ちよく仕事ができるような雰囲気づくりをする。それも立派な貢献だと思う。もしかすると、気が付かなかったこともあるかもしれない。そのようなことも、クレームではなく、お知らせというかたちでお伝えする。そのようなシーンがあっても良い。またボランティアを募集されたとき、もし応えられるなにかがあるのならば、積極的に手を挙げる。私は、そのようなスタイルで行きたい。
私は仕事では、世界中のソフトウェア開発者が協力し合って世界中さまざまなシステムを支える基盤を作っていくプロジェクトと共にいる。それぞれが互いを信頼しあって、できることを惜しみなくできる範囲で無理せずに貢献しあう。その積み重ねがとてつもない成果をもたらしている。そんなジョンレノンの「イマジン」のようなことが、丁々発止、生き馬の目を抜くような国際社会で起きているのかって? 現実、起きていることです。夢でも見ているんじゃないかって、とんでもない!
それが小さな公園でも少しでも見えればうれしいよね。メジロちゃん!
あらっ、飛んで行っちゃった。
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